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■観音信仰■

1 :名無しさん@1周年:03/01/07 12:06
最終的にいきつく信仰
(一切の荒らしカキコは、単なるバイト文字の羅列として受けとめよ)

2 ::03/01/07 12:08
これこそ絶対力であって、相対は無い。
一切衆生を救う無限絶対無始無終。

救う救わないという人間の価値判断は、関係がない。
ただ時の問題である。
よって、人間はそのときに、
取り違いのないよう、あるいは、
槍玉に挙げられないよう、
正しい神観を持ってして、不断の向上を努めるべきである。

一般に観音様というと、眉目秀麗なる如来の姿を取った、
女性のような菩薩を思うであろう。
その御姿が、救世観音でもある。
最後の審判の前に、人類を救おうとさるる御姿である。

3 ::03/01/07 12:09
観音様の救いは、救いであるが、
時が来れば、裁きになる。
これが最後の審判のときで、
この審判は、幾多の聖者が伝えており、
人間にとっては、聞き飽きているところであろう。
が、しかし、
最後の審判は絶対にある。
ただ、時は定まらない。
しかし、経綸からすれば、神国は目前にせまりつつある。
よって、人間は、くだらない日々の泡沫に酔いしれている場合ではない。

では、最後の審判とは何かというと、
天国を創るにあたって、神の取捨選択であり、意思の現れであり、
この裁きに反抗することは、何人も不可能である。
この文を書いている私も例外ではない。
(それが恐くて、この文を書いてるのでもある)

4 ::03/01/07 12:10
その天国とは、神の国でもあり、
各聖者が予言したとおりである。

最後の審判を乗り越すには、
人間の我を捨て、神のまにまに生きることであって、
これ以外にない。
悪には恐ろしく、善にはありがたい話しである。
よって、地上にある人間は今からでも神を胸にたたんで生きることである。
ただし、にわか信心は間に合わなく、
また、言い訳信仰も、屁理屈信仰も、何の役にも立たない。
また、穢れの多い人間は、あるいは間に合わないかもしれないが、
本人の努力次第であろうか。

審判の様相は、定かではない。
時も定かではない。
が、大浄化作用であることは、明らかである。
そして、神の意図がある以上、それは避けられないハズである。

5 ::03/01/07 12:11
■絶対力■

観音様の御力は絶対力と説いたが、これを詳しく話そう。
・・・・。よくわからない。
ただ、絶対力と示したまでで。
その前に、妙智力から話そう。
妙智とは、女性の智慧でもあり、それは妥協に似てる。
「もういいでしょう!」
という、許しの力である。
要するに、負けてしまって、ギブアップのことである。
また、相応であり、程でもある。
これは、人間が力尽きるときに、差し伸べられる光だろう。

妙智によって救われた人間が、
最後の審判を乗り越えれるかである。
これは、人間では判断がつかないが、
要するに、これも相応であろう。

話しを戻し、絶対力である。
観音様の御力の源、要するに、全ての力の根源は、
絶対力である。
換言すれば、日月地三位一体であり、
地上の創造主の力であり、権限である。

6 ::03/01/07 12:13
日月地三位一体とは、
この神の世界は、日月地の3つによって構成されており、
この3つの力こそ、真理そのもので、
そこに真の力がある。
これは、神様がそのように造られたからであろう。
日とは、太陽のことで、月とは月玉のことで、地とは大地、地球のことである。
大きくみる日月地が、そのようなもので、
小さく見ると、日は火であり、精神であり、魂である。
月は、水であり、水素であり、冷気である。
土は、大地である。
現代科学の見出したる各粒子、あるいは素粒子なるものは、
お話にならないのであって、無知なサルが末端をみて喚いてるだけである。

神の信徒たるものは、そういったくだらないことに
時間を費やすことは許されないのである。
また、くだらないことに心まで奪われては、苦しみをつくるのみである。

7 ::03/01/07 12:14
東方の光、太陽の光、真実の光。
これが、表にでた暁には、
過去の一切の陋習は、光の前にかきけさるるごとく、
その光を失うのみである。
各人が放つ星の光は、威光を失い、
月の光も、どうでもよくなり、
大光明の前に、我は消え去るであろう。
そして、万教帰一、思想統一、人類統一、
今だかつて見ない天国が樹立さるるのである。

よって、我等人間にできることは、
最後の審判を乗り越す資格を得んとして、
せいぜい気張るのみである。
取次ぎ者から出る、真実を知ったならば、
偽りをすて、神の威光にひれ伏すのみである。

8 ::03/01/07 12:14
・・・・・・・・以上・・・・・・・・・

9 :◆8VKCCvioJE :03/01/07 12:47
まず、経済原理であるが、これは偽りである。
そして、義務教育も偽りである。
そして、教団制度も偽りであり、
公務も偽りである。
これら偽りの制度にて、力を付け地位を得れば、
それは偽りの集積であってして、
真実の前には、何の価値もない。

社長や地位のある人間が、
死後、地獄で浄化さるる話しがよくあるのは、
偽りを重ねてきたからに他ならない。

10 :◆8VKCCvioJE :03/01/07 13:07
■宗教と科学■

宗教は科学以上でなければならなく、
科学が、宗教に奉仕するのである。
世相は、これが逆と言ってもいいほどで、
宗教は、実際的力を発揮せずして、頼りない限りである。

よって、真の信徒たる者は、
時代時代が作る科学は、容易に理解できるものであり、
それによって偽りも見抜けるものである。

例えば、ひごろ部屋を照らしている電灯であるが、
この科学原理を覚っていることである。
(私は知らないが)
科学とは、宗教的向上の産物でなければならなく、
科学結果自体に価値はないのであるから、
それに幸福は伴わないのである。
よって、物体の製造に幸福は伴わないのである。
こんな簡単は話しがわからないため、
馬鹿な社会人が、馬鹿な指導をし、馬鹿な制度を作り、
馬鹿な教育までし、地獄を作っているのであるから、精神病者である。

11 :◆8VKCCvioJE :03/01/07 13:59
よって、人間を救うには、
誰にも、とにもかくにも、精神病を治すことである。
それには、精神病が如何にしてできたかを知ることである。
庶民の精神病は、国家や制度を信用して生きたことによる、
曇りの堆積であり、これは、また軽傷である。
この精神病を治すには、早い話が偽りを捨てることである。
それは、神の愛を知ることである。
すなわち、馴れ合いを捨てることである。
神の愛は、全人類を愛するのであって、
この愛に基かなければ、嘘である。
決して、国家や集団に心を委ねてはならないのである。
この点、制度において力無きもの、あるいは地位無きものは、
幸いというか、都合が良い。
それは、積み上げたバベルの塔が少ない.

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