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根本仏典のブッダの言葉

1 :仏の教えについて:03/01/17 23:03
「修行者たちよ。善にして、尊く、出離を得させ、さとりにみちびく諸々の真理がある。そなたたちが、
『善にして、尊く、出離を得させ、さとりにみちびく諸々の真理を聞くのは、何故であるか』と、
もしもだれかに問われたならば、かれらに対しては次のように答えねばならぬ。
『二種ずつの真理を如実に知るためである』と。しからば、そなたたちのいう二種とは何であるか、
というならば、『これは苦しみである。これは苦しみの原因である』というのが、一つの観察〔法〕である。
『これは苦しみ消滅である。これは苦しみの消滅に至る道である』というのが、第二の観察〔法〕である。
修行僧たちよ。このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、
専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。
−すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないこと(不還)である。
尊師はこのように告げられた。そうして、幸せな師(ブッダ)は、さらにまた次のように説かれた。
苦しみを知らず、また苦しみの生起するもとをも知らず、また苦しみのすべて残りなく滅びるところをも、
また苦しみの消滅に達する道をも知らない人々、かれらは心の解脱を欠き、また智慧の解脱を欠く。
かれらは(輪廻を)終滅させることができない。かれらは実に生と老いとを受ける。
しかるに、苦しみを知り、また苦しみの生起するもとを知り、また苦しみのすべて残りなく
滅びるところを知り、また苦しみの消滅に達する道を知った人々、かれらは、心の解脱を具現し、
また智慧の解脱を具現する。かれらは(輪廻を)終滅させることができる。かれらは生と老いとを受けることがない。

2 :仏の教えについて:03/01/17 23:11
ブッダは霊魂を否定したかどうかの疑問について

「世界は常住なものであるという見解があるとき、清浄行に住するであろう」といことはない。また、
「世界は常住ならざるものであるという見解があっても、また世界は常住なるものであるという見解があるとき、
清浄行に住するであろう」ということはない。世界は常住なるものであるという見解があっても、
また世界は常住ならざるものであるという見解があっても、
しかも生あり、老いることあり、死あり、憂い、悲しみ、苦痛、悩み、悶えがある。
われはいま目のあたり、これらの消滅を説くのである。
 〔次に「世界は有限である」「世界は無限である」「霊魂と身体とは同一である」「霊魂と身体とは異なったものである」
  「人格完成者は死後に存在する」「人格完成者は死後に存在しない」「人格完成者は死後に存在しかつ存在しない」
  「人格完成者は死後に存在するのでもなく、存在しないのでもない」という見解についても一々同じことが繰返し説かれている〕

 それ故にここにわたくしが〔いずれとも〕記説しなかったことを記説されなかったこととして受持せよ・・・・

「世間は常住である」などということはわたくしの記説しなったことである。
何故にわたくしはこのことを記説しなかったのか?
何となればこのことは目的と相応せず、清浄行の基礎とならず、
厭離・離欲・止滅・平安・知通・正覚・安らぎ(ニルヴァーナ)のためにならない故である。
 しからばわたくしは何を記説したのであるか?「これは苦しみである」「これは苦しみの起る原因である」
「これは苦しみの止滅である」「これは苦しみの止滅に導く道である」ということを、わたくしは記説したのである。
何故にわたくしはこのことを記説したのであるか。
マールンキャの子よ、
これは目的と相応し、清浄行の基礎となり、厭離・離欲・止滅・平安・知通・正覚・安らぎのために
なるものである。それ故にわたくしはこれを記説したのである。

3 :仏の教えについて:03/01/17 23:45
さまざな宗教・仏教(宗派)・論議について

(世の学者たちは)めいめいの見解に固執して、互いに異った執見をいだいて争い、(みずから真理への)熟達者で
あると称して、さまざまに論ずる。−「このように知る人は真理をしっている。これを非難する人はまだ不完全な人
である」と。かれらはこのように異った執見をいだいて論争し、「論敵は愚者であって、真理に達した人ではない」
と言う。これらの人々はみな「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、これらのうちで、どの説が真実な
のであろうか?
もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、低級な者であり、智慧の劣った者であるならば、これらの人々は
すべて(各自の)偏見を固執しているのであるから、かれらはすべて愚者であり、ごく智慧の劣った者であるという
ことになる。またもしも自分の見解によって、真理に達した人、聡明な人となるのであるならば、かれらのうちには
知性のない者はだれもいないことになる。かれらの見解は(その点で)等しく完全であるからである。
諸々の愚者が相互に他人に対して言うことばを聞いて、わたくしは「これは真実である」とは説かない。かれらは
各自の見解を真実であるとみなしたのだ。それ故にかれらは他人を「愚者」であると決めつけるのである。
或る人々が「真理である、真実である」と言うところのその(見解)をば、他の人々が「虚偽である、妄想である」
と言う。このようにかれらは異った執見をいだいて論争する。何故に諸々の<道の人>は同一の事を語らない
のであろうか?
真理は一つであって、第二のものは存在しない。

4 :仏の教えについて:03/01/17 23:47
真理は一つであって、第二のものは存在しない。
その(真理)を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい 異なった真理をほめたたえる。
それ故に諸々の<道の人>は同一の事を語らないのである。
みずから真理に達した人であると自称して語る論者たちは、何故に種々異った真理を説くのであろうか?
かれらは多くの種々異った真理を(他人から)聞いたのであるか? あるいはまた
かれらは自分の思索に従っているのであろうか?
世の中には、多くの異った真理が永久に存在しているのではない。ただ永久のものだと想像しているだけである。
かれらは、諸々の偏見にもとづいて思索考究を行って、「(わが説は)真理である。」
「(他人の説は)虚妄である」と二つのことを説いているのである。
偏見や伝承の学問や戒律や誓いや思想や、これらに依存して(他の説を)蔑視し、(自己の学説の)断定的結論
に立って喜びながら、「反対者は愚人である、無能な奴だ」という。
反対者を<愚者>であると見なすとともに、自己を<真理に達した人>であるという。かれはみずから自分を
<真理に達した人>であると称しながら、他人を蔑視し、そのように語る。
かれは過った妄見を以てみたされ、驕慢によって狂い、自分は完全なものであると思いなし、みずから心のうちでは
自分を賢者だと自認している。

5 :仏の教えについて:03/01/17 23:48
自分を賢者だと自認している。
かれのその見解は、(かれによれば)そのように完全なものだからである。
もしも、他人が自分を(「愚劣だ」と)呼ぶが故に、愚劣となるのであれば、その(呼ぶ人)自身は(相手と)とも
に愚劣な者となる。また、もしも自分でヴェーダの達人・賢者と称し得るのであれば、諸々の<道の人>のうちに
愚者は一人も存在しないことになる。
「この(わが説)以外の他の教えを宣説する人々は、清浄に背き、<不完全な人>である」と、一般の諸々の
異説の徒はこのようにさまざまに説く。かれらは自己の偏見に耽溺して汚れに染まっているからである。
ここ(わが説)にのみ清浄があると説き、他の諸々の教えには清浄がないと言う。このように一般の諸々の
異説の徒はさまざまに執著し、かの自分の道を堅くたもって論ずる。
自分の道を堅く堅くたもって論じているが、ここに他の何ぴとを愚者であると見ることができようぞ。
他(の説)を、「愚かである」、「不浄の教えである」、と説くならば、かれはみずから確執をもたらすであろう。
一方的に決定した立場に立ってみずから考えを量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。
一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起すことがない。


6 :仏の教えについて:03/01/20 02:21
age

7 :室丼 刀 ◆v/ClhaTjaY :03/01/20 02:29
先生!スッタニパータって美味しいんですか?

8 :名無しさん@1周年:03/01/20 02:50
蟹クリームスパです。

9 :室丼 刀 ◆v/ClhaTjaY :03/01/20 04:03

( ´_ゝ`)フーン、ソウ

10 :taitsu™ ◆bnx86/FFP2 :03/01/20 05:19
ってか、>>1
根本仏典で何が語りてーのよ?
意味解ってるの?

須らく信解されたし!

11 :山師さん(摩耶山):03/01/20 06:06
taitsu™ さん、オヒサ最近どこに入るの?

12 :山崎渉:03/01/20 06:54
(^^)

13 :taitsu™ ◆bnx86/FFP2 :03/01/20 12:15
>>11
いやいや〜、おひさです〜。w
2ちゃんは離れて、今は専らMXチャットだったりしてます。w
でも古巣も良いデスね〜、たまには。


14 ::03/01/20 12:51
はじめまして。私、頻繁ではないですが創価板にカキコしてる者です。
私は学会員の妻と別居してるのですが、あの教団の弱点が教義にあることは明白ですよね。日蓮の法華経優位説なんですから。
で、創価板で私がカキコしている「結婚したら強制入信ですか」というスレでは、こういう事を書き込むとスレ違いになりますので、
他のところで波木井という男を論破していただけないでしょうか?
私、忙殺されてまして、あまりカキコできないもので。。。この男は日蓮宗なんですが、まぁ同じ事ですねぇ。
皆様のお力をよろしくお願いします。

15 :名無しさん@1周年:03/01/20 13:06
>>14は仏教の何たるかが分かっていない。
>>3を読め!

16 :taitsu™ ◆bnx86/FFP2 :03/01/20 13:26
>>15
なはははw、禿しく同意。w
でも所詮は君もドグマに陥っていると思われ。。w

17 :taitsu™ ◆bnx86/FFP2 :03/01/20 13:32
>>14
ハキリをも飲み込む事が出来ない君に
法華経の何たるかが理解できてるとは到底思えない。

日蓮大聖人は後年で法華経すらも破折されているのはご存じない楊で。w

大事なのは経典じゃなく、真理なんですよ。w

18 :名無しさん@1周年:03/01/20 13:33
仕方ないよ。
迷いから正しい悟りに導くためには、誰かがしなきゃね。
でも、14が仏教というものを分かっていないのは事実でしょ。
事実を言語表現として指摘しただけ。

19 ::03/01/20 18:57
ありがとう。みなさん。神道がすきなんです、私。

20 :名無しさん@1周年:03/01/20 19:32
「悪魔は善行の功徳を求める人々にこそ語るがよい」スッタ二パータ
心のやすらぎを得る人は、善行で人を助け、よいことをやったことに喜びを見出す。

21 :名無しさん@1周年:03/01/20 19:54
>>1-5
ふーん。
まあ、いいんじゃない?
少しはまともなこと言ってるみたいだし。

22 :名無しさん@1周年:03/01/20 20:06
>>19
いろいろ大変でしょうけど、がんばってください。

23 :仏の教えについて:03/01/20 21:11
age 1〜5のスレを読んで感想などご自由にどうぞ

24 :名無しさん@1周年:03/01/20 22:13
あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生ける
ものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。〜どのような人にも、障害なく
怨みなく敵意なき慈しみを行うべし。〜この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。
その心がニルヴァーナに近いのだろう。イエスは哀れみの心だという。敵に対して怨みを抱かない。
真理はひとつ、慈しみや哀れみの心に近いもの。


25 :taitsu™ ◆bnx86/FFP2 :03/01/21 01:13
>>24
フフフ
戯論だな・・・w

そもそも、ニルヴァーナ=涅槃とは何かね?
彼岸に達するのを涅槃と言うのではなかったか・・
では、彼岸とは? 
彼岸の向こうに真理が有るんだよ。w
その場所は・・・ここだよ。w
今自分が居るその場所に、彼岸が有り、
自分そのものが、真理の的である。w
解るかな?w

26 ::03/01/21 02:33
ここ気に入ったっす。居ついていいですかぁ?

27 :名無しさん@1周年:03/01/21 03:06
究極の理想に深く通じ、平安の境地に到達しようと欲する人の為すべきことは、次のようなものである。

有能にして高潔であり、正直にして率直であれ。
教えるにたやすく、穏やかで、うぬぼれを持たず、
満足して、支えるにたやすく、
俗世の義務少なくして、簡素な生活を送り、
平和を作り出す才能に恵まれ、腕は確かであり、
慎み深く、そして、支えてくれる者達に対して一切のむさぼりを持たない。

後に賢者の非難を受けるような行為を、いささかなりとも為してはならない。

心からこのことを願え。
すべての生きとし生けるものは、幸せであれ、平安であれ、
存在するいかなる生き物であっても
弱きものも、強きものも、例外なく、
長いものも、大きなものも、中くらいのものも、短いものも、
微妙なものも、粗大なものも、
見えるものも、見えないものも、
近くのものも、遠くのものも、
すでに生まれたものも、誕生を望んでいるものも、
すべての生きとし生けるものは、幸せであれ。
(続く)


28 :名無しさん@1周年:03/01/21 03:07


他を欺いてはならない。
誰に対しても、どこにいようとも、決して見下してはならない。
他を苦しめようという思いを抱いて
怒りといらだちに囚われてはならない。

母が子供を守るように、
その一人子を守るために命を懸けるように、
一切の生きとし生けるものに対して、
無量の慈しみの心を起こしなさい。
すべての世界に対する慈しみをもって
無量の心を深めなさい。
上に、下に、そして全世界に、
障害なく、敵意と憎しみなく、無量の心を起こしなさい。

立っていようと、歩いていようと
座っていようと、寝ていようと、
目覚めている限りは、
この心づかいをしっかりと保て。
この世、そしてこの時にあって
これを永久的な気高さと呼ぶ。

諸々の見解にとらわれず
気高く、完全最高の見能をもって
感覚的喜びへの熱望を克服せよ。
このようにして、人は二度と胎に身を横たえることはないであろう。


29 :名無しさん@1周年:03/01/21 03:40
仏典 スッタニパーダ「慈悲」全文でした。

30 :taitsu™ ◆bnx86/FFP2 :03/01/21 04:07
>>28
ソースは中村先生あたりかな?w

そのカキコの内容は理想論なんだよ。
現実からはかなり遠ざかってしまっている。

では、智者は具体的にどうしろと言われたのかな?
その云われた方法が果たして現代で実践可能であろうか?

所詮は、心に留め置いてそれでお終いなのである。ww

諸行無常、諸法無我、

一切皆苦、涅槃寂静。

ありのままを受け入れ、ありのままに生きて。
全ての答えは己の手の内に秘められている。

31 :名無しさん@1周年:03/01/21 04:23
>>30
釈迦が菩提樹の下で悟るきっかけは、何だったのでしょうか。
わたしは、瀕死の釈迦にスジャータの供養した一杯の牛乳だと思う。
その供養で、初めて釈迦は故郷に残してきた父母や、今まで育ててもらった親の恩を
感じて、反省したのではないだろうか。
ヨガで修行した肉体の『修行』の虚しさを知ったのではないだろうか。
その反省行が、「菩提樹の下の悟り」に導いていくきっかけになったのだと思う。
すなわち、病人や苦しむ物を救おうとする『慈悲』の思いである。

32 ::03/01/21 10:21
「慈悲」全文 拝見してマジ感銘しました。俺バカですから質問していいですか。
これは所謂「三蔵経」っていうか「阿含経」なんですか?

33 ::03/01/21 10:27
あっ それとコーヒーに入れるクリープに「スジャータ」ってあるけど
名前の由来は>31の話からなのかなぁ?勉強になるなぁココ。

34 :名無しさん@1周年:03/01/21 17:45
>>32
「スッタニパーダ」と言う経典で、阿含経とは別です。
岩波文庫からも出ていますが、文語訳です。

スジャータ出してる会社の社長が仏典から引用されたみたいですよ。

35 :    :03/01/21 19:00
>27 28 「慈悲」全文に感銘しました。


36 :仏の教えについて:03/01/21 21:26
スッタニパータ   慈しみ(全文)

143 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、ことばやさしく、
柔和で、思い上ることのない者であらねばならぬ。
144 足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、
諸々の(ひとの)家で貪ることがない。
145 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、
安穏であれ、安楽であれ。
146 いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、
中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、
147 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生れたものでも、
これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
148 何ぴととも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。
悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
149 あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、
無量の(慈しみの)こころを起すべし。
150 また全世界に対して無量の慈しみの意を起すべし。
   上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。
151 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
   この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。
152 諸々の邪まな見解にとらわれず、戒めを保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、
決して再び母胎に宿ることがないであろう。

37 :仏の教えについて:03/01/21 21:34
age 1〜5のスレを読んで感想などご自由にどうぞ

38 :    :03/01/21 22:56
哲学より、どのようなことにもこだわりがないなら少しでも真理に近づける
だろう。釈迦は輪廻転生を終結させた、死んで成仏できた心境に立って語られている
のだろう。成仏できた者はこの世のことは考えない。ニルヴァーナに達しこの上なき
最上の喜びを得ている。つまりこの世はそれと比較して苦なのだ。
この世で論争を好んでも、それだけ苦を受けるだけだ。

39 ::03/01/21 23:27










>36
わずかの食料、、うーん。ウチは子供3人の父子家庭なんです。俺が料理を作ってるんですけど、
やっぱり子供には喜んでもらいたいので、お金に余裕のある時は、一品増やすべきかどうか、いつも悩んでるんです。
これは慈愛なんでしょうか。それとも思い上がりなんでしょうか。
子供が喜んでる顔を見ると嬉しくてツイ、、、





40 ::03/01/21 23:38
>39あれっ なんだこの空白!無視してください。技術的なミスです。

41 :仏の教えについて:03/01/22 03:32
age 1〜5のスレを読んで感想などご自由にどうぞ

42 :歩@一日一問:03/01/22 09:42
>39の私の質問、見事にスルー有難うございます。
「慈悲」読んで感銘したのは事実です。
ただtaitsu氏の「理想」という言葉にも共感出来るところもあり、、、

43 :仏の教えについて:03/01/22 13:36
age 1〜5のスレを読んで感想などご自由にどうぞ

>>25,>>30
かれらは多くの種々異った真理を(他人から)聞いたのであるか? あるいはまた
かれらは自分の思索に従っているのであろうか?
かれらは、諸々の偏見にもとづいて思索考究を行って、「(わが説は)真理である。」
「(他人の説は)虚妄である」と二つのことを説いているのである。
偏見や伝承の学問や戒律や誓いや思想や、これらに依存して(他の説を)蔑視し、(自己の学説の)断定的結論
に立って喜びながら、「反対者は愚人である、無能な奴だ」という。
反対者を<愚者>であると見なすとともに、自己を<真理に達した人>であるという。かれはみずから自分を
<真理に達した人>であると称しながら、他人を蔑視し、そのように語る。
かれは過った妄見を以てみたされ、驕慢によって狂い、自分は完全なものであると思いなし、みずから心のうちでは
自分を賢者だと自認している。



44 :仏の教えについて:03/01/22 14:35
>>39 子供のためにと思う心は私は慈愛であると思います。
ただ、それが思い上がりかな?と、思うのはあなたのこころに何かしらの執着があるから
ではないでしょうか?



45 :山上憶良:03/01/22 23:06
子を持っちまった時点で、そりゃ、シューチャクせざるを得ないのでは!

46 :名無しさん@3周年:03/01/22 23:23
>>39
慈愛ではなく、欲の一種であると言ったほうが正確です。
えこ贔屓したいという欲求を慈愛という言葉で美化しただけ。
それが自然な感情であったとしても、よく観察することが必要です。
全ての者に対する愛でなければ自分の為の行為から出るものではありません。

47 :歩@一日一問:03/01/23 00:22
>39の私の書きこみが少し表現不足だったと思います。
「贅沢」って事なんです。子供には、一年に5回位食べ物で贅沢させてあげたいと仮定して(少なぁ!)
やはりそれでも「贅沢は敵であり、粗食が一番」という教育をすべきでしょうか?
子供の嬉しそうな顔を見ると、理屈ぬきで嬉しいので、つい、、、

48 :仏の教えについて:03/01/23 02:17
age 1〜5のスレを読んで感想などご自由にどうぞ


>47やはりそれでも「贅沢は敵であり、粗食が一番」という教育をすべきでしょうか?
>>47さん
贅沢は敵ではなく、贅沢する心が敵であると思います。
粗食が一番という教育はよいことだと思いますが、あなたとあなたの子供が出家者なら
粗食が1番よいのかもしれませんが、子供たちは在家であり、食べ盛りなのではないでしょうか?
それを無理に、贅沢は敵、粗食が1番とそれに固執するのはよくないのではと思います。
ただ、贅沢はよくない、粗食はよいことだ、と心にとどめておき、
そういう事を子供に話して聞かせてあげるのは良いと思います。


49 :名無しさん@1周年:03/01/23 19:41
子供の健康のことにも気を使って食事を与え、たまには子供が喜ぶように
してあげる。これを自然に行えるようにするのが、障害なき慈しみを行う
ことのひとつではないかと思います。

50 :名無しさん@1周年:03/01/23 20:23
4 ある一定の現象について、これは正しいとか間違っているというのでなく、
さとりの境地「すべての存在は水の泡か陽炎のごとく、いかなることにもとらわれない」ことが安楽であり
釈迦は「三界は生まれず、死なず、変化せず、生じず、流転せず、完成せず、真実でもなければ真実でないもの
でもなく、存在するものでもなければ存在しないものでもなく、このようなものでもなければ別のものでもなく、
偽りでもなければ偽りでないものでもなく、別の物でもなければ、そのようなものでもない、と見るのである。」と。

欲求を制することができたら次に、己の心の迷いをなくすること、これが安らぎに通じる道だと思う。




51 :歩@一日一問:03/01/24 00:56
>1〜5について感じた事を少し、、、「修行者たちよ」で始まりますね。
私は以前からインドで何故、仏教が消滅したのか?と言う疑問を持っておりました。
これは「修行者」に語りかけていますが、「修行者」を通じて「民衆」にまで語りかけているのか、、、
民衆からすれば、なにやら特権階級だけに通じる教えの様に感じたのではないでしょうか?
釈迦の時代から2500年後に生きる「一人の民衆」として、そう感じました。
生意気言ってすみません。

52 :お釈迦しゃ〜ん:03/01/24 00:58

仏縁が、なかったということでしょうな。

53 :名無したん3周年:03/01/24 19:45
ことばと心を正しくするようにこころがけ、身に悪事をなさないで、もしも
飲食豊かな家に住んでいるならば、(1)信あり (2)柔和で (3)よく分かち与え
(4)温かい心でいるならば、これらの四つの事柄に安住している人は、来世を恐れる
必要がない。[ブッダ神々との対話]

飢えることがないと思われる我々は、出家して乞食行をすることは困難でしょうし
これらの4つの事柄に甘んじて安住し来世にも今の境遇を失わないように生まれること
しかないのでは。

54 :名前はいらない:03/01/24 19:58
朝起きたら、

太陽の光と、おまえの命と、おまえの力とに、

感謝することだ。

どうして感謝するのか、その理由がわからないとしたら、

それは、おまえ自身の中に、罪がとぐろを巻いている証拠だ。




ショーニー族の首長、テクムセの言葉(1768-1813)

「インディアンの言葉」 ミッシェル・ピクマル編 中沢新一訳 紀伊国屋書店より

55 :なし:03/01/24 20:44
今日われらは美しい太陽を見、美しい晴れた朝に逢い、気持ちよく起き上がった。
激流をのり超え、煩悩の汚れのなくなったブッダにわれらは見まえたからである。(スッタ二パータより)

ブッダのことばから、煩悩を少なくし、あの世もこの世も望まない心で、今現在
を生きる我々の究極の楽しみは、太陽の光と太陽の光に照らし出される世界を見て
やすらぎを覚えることだと思う。

56 :名無しさん@3周年:03/01/24 20:45
家族一緒になりなさい
家族一緒に成り始めている
             林 メリイ

57 :室丼 刀 ◆v/ClhaTjaY :03/01/24 21:56
 


林 メリイ は今流行り(というか昔からあったが)DVを知らない脳内妄想房
















58 :仏の教えについて:03/01/25 01:58
>>51さんへ
わたくしが聞いたところによると、 ── あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッテー市のジャータ林、<孤独な人々に食を給する長者の園>におられた。
そのときダンミカという在欲信者が五百人の在欲信者とともに師のおられるところに近づいた。そして師に挨拶し、かたわらに坐った。
そこで在欲信者ダンミカは師に向かって詩を以て呼びかけた。

── 省略 ──

384 これらの出家修行者たち、並びに在俗信者たちは、すべて、(目ざめた人の教えを)聞こうとして、ここに集まってきたのです。
けがれなき人(目ざめた人)がさとり、みごとに説いた理法を聞け。 ── 神々がインドら神のことばを聞くように。

385 (師は答えた)、「修行者たちよ、われに聞け。煩悩を除き去る修行法を汝らに説いて聞かせよう。汝らすべてはそれを持て。
目的をめざす思慮ある人は、出家人にふさわしいそのふるまいを習い行え。

── 省略 ──
                                    スッタニパータ、第二、14、ダンミカ

>>51 これは「修行者」に語りかけていますが、「修行者」を通じて「民衆」にまで語りかけているのか、、、

 修行者とは<修行をする者>の意であると思います。すなわち上記のとおり、民衆(在欲信者にも)法を説いています。



59 :仏の教えについて:03/01/25 02:07
age 1〜5のスレを読んで感想などご自由にどうぞ

1、真理を聞くのはなぜか?
2、ブッダは霊魂を否定したかどうかの疑問について
3〜5、さまざな宗教・仏教(宗派)・論議について


60 :歩@一日一問:03/01/26 01:27
>58さん 有難うございます。
当時の修行とは苦行ですね。釈迦もそうだった様に断食したり、体を痛めつける様な、、、
最近では、オウムの人達が同じような事をやってました。
さて、それは本当の意味の「苦」でしょうか?以前から疑問に思ってました。
現実社会の中で人間関係その他で悪戦苦闘する方がよっぽど苦行なんじゃないかと。
現実社会からの「逃げ」じゃないでしょうか?
私のような感覚を昔のインドの民衆も感じていて、、、
それが仏教の消滅になったのではないでしょうか?

61 :名無しさん@3周年:03/01/26 12:05
悪魔・悪しき者が言った
 「苦行と厭い離れることに専念し、ひとり遠ざかって暮らす生活を守り、物質的なかたちに執着し、
神々の世界を喜び、それらの人々は、来世のために正しく教えさとす」と。
ブッダは
 「この世またはかの世におけるいかなるかたちでも、空中に現れる光輝きや彩色でも、これらはすべて
悪魔ナムチのほめたたえるところである。魚を釣るために餌が投げ込まれたのである。」


苦行が目的ではなく、物質的なかたちに執着する心をなくすことが重要だと理解されます。
例えば、人の顔をとっても様々、美人を喜び不美人を軽視する、そのようなことがないように
どのような人に対しても慈しみができるように気をつけたりとか。

62 :名無しさん@3周年:03/01/26 12:32
悪魔パーピマンがいった、
 「子ある者は子について喜び、牛のある者は牛について喜ぶ。」
ブッダは
 「子ある者は子について憂い、牛のある者は牛について憂う。」

人間関係に対しては、その言葉を少し延長してとらえ、人とは自分の
思いどうりにならないものだと諦めることによって、少しは気楽になり
ました。
子については、自分の喜びのもとで愛するのではなくて、憂うものだと
とらえ、どのような状況であろうと慈しみを垂れ奉仕するような気持ち
であればいいのだと私は思います。

63 :仏の教えについて:03/01/26 16:05
>>60それは本当の意味の「苦」でしょうか?以前から疑問に思ってました。
現実社会の中で人間関係その他で悪戦苦闘する方がよっぽど苦行なんじゃないかと。
現実社会からの「逃げ」じゃないでしょうか?

一、欲望  (スッタニパータより)
766 欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくゆくならば、かれは実に人間の欲するもの
を得て、心に喜ぶ。
767 欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、
悩み苦しむ。
768 足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、よく気をつけて諸々の欲望を回避する人は、
この世でこの執著をのり超える。
769 ひとが、田畑・宅地・黄金・牛馬・奴婢・傭人・婦女・親族、その他いろいろの欲望を貪り求めると、
770 無力のように見えるもの(諸々の煩悩)がかれにうち勝ち、危い災難がかれをふみにじる。
それ故に苦しみがかれにつき従う。あたかも壊れた船に水が浸入するように。
771 それ故に、人は常によく気をつけていて、諸々の欲望を回避せよ。船のたまり水を汲み出すように、
それらの欲望を捨て去って、激しい流れを渡り、彼岸に到達せよ。 

〔神が問うていわく、── 〕  (サンユッタニカーヤT、三、八節より)
「大いに財宝あり、大いに財産あり、国土を占有している王候たちは、欲望に飽くことなく、互いに貪りを獲得しようと望んでいる。
熱望をいだき、迷いの生存の流れに押し流されているかれらのうちで、誰が貪りと妄執を捨て去って、世にあっても熱望することが
なくなったのでしょうか?」
〔尊師が答えていわく、── 〕
「家を捨てて出家し、子と家畜と愛しきものを捨て去って、情欲と怒りを断ち、無明を離れて、煩悩の汚れを滅ぼし尽くした真人たち、
── かれらこそ、世にあっても貪りを熱望することがないのである。」

64 :仏の教えについて:03/01/26 16:08
>>60それが仏教の消滅になったのではないでしょうか?

世界は常住なるものであるという見解があっても、
また世界は常住ならざるものであるという見解があっても、
(上記の様な見解があっても、)
しかも生あり、老いることあり、死あり、憂い、悲しみ、苦痛、悩み、悶えがある。
われはいま目のあたり、これらの消滅を説くのである。

それが仏教の消滅になったのではないでしょうか?という事で>>60さんは何を言いたのでしょうか?


65 :名無しさん@3周年:03/01/26 16:36
つまり、1-5は仏教にこだわるなと。
仏教だけが正しいのではないと。
全ての偉大人は同じ一つのものについてを異なる教えを述べたが
永遠のものは一つもないと。
昔の仏教などを現代にそのまま持ってきても役に立たないと釈迦は正しく言った。

66 :仏の教えについて:03/01/26 22:20
>>65 昔の仏教などを現代にそのまま持ってきても役に立たないと釈迦は正しく言った。

どの経典のどの部分をとらえて釈迦は上記の様なことを言った、となるのですか?

67 :楽行:03/01/26 23:11
釈迦の言う無駄な苦行って
ウンコ食べたり
体何年も洗わなかったり
立ったまま横にならないとか
苦行ちゅーか異状な修行のことじゃないの?

68 :名無しさん@3周年:03/01/26 23:23
>真理は一つであって第二のものは存在しない。その真理を知った人は争うことがない。

争うことがない筈のものがどうして互に貶し合っているのか。
つまり釈迦の説法では人々への教化が不完全にしかできなかったことの証明である。
または釈迦の教え自体が曲がっていた。
いずれにしても釈迦の経など大したものではないということ。

>一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起すことがない。

「一切の」断定は確執の元。釈迦は臨機応変に教えを垂れたと言われるが、
つまり一つの(例えば釈迦在時の)教えに固執する人間が現在もなお存在している
ということは非常に嘆かわしいことだ。真理は争うものを持たないと先に述べている。
固定したもの、断定できるようなものは確執をもたらす故に真理ではないということだ。
無理に言葉で語ろうとすることは過ちである。正しくは相伝によって暫時の教を説き聞かす
ばかりであって、「これが真理だ」などとは書き表しようがないのである。

69 :歩@一日一問:03/01/27 00:01
>64さん
仏教は結局、インドで消滅しましたよね。何故でしょうか?
何を言いたいのか?と言われましても、私の>60のカキコは簡単な日本語だと思いますが、、、
あなた個人のお考えをお聞かせください。
スッタニバータにどう書いてようが、結局は民衆の心を捉えなかったんじゃないでしょうか?

70 :仏の教えについて:03/01/27 01:23
仏教は結局、インドで消滅しましたよね。何故でしょうか?
結局は民衆の心を捉えなかったんじゃないでしょうか?

私の個人的意見はブッダは民衆の心を捉えるために教えを説いていたと思いません。
説法についてはブッダは始め、法を説こうとは思わなかったが、梵天の懇請により、
耳あるものどもに甘露(不死)の門はひらかれたと言って、教えを説きはじめます。
これは善い法だからたくさんの人に知らせよう!という心があるならば、その時点で
執著があるのではないでしょうか?
私はブッダの教えを聞こうとする人だけが、聞けばいいと思っているので
民衆の心を捉える必要もないと思っています。


71 :仏の教えについて:03/01/28 11:54
age 1〜5のスレを読んで感想などご自由にどうぞ


72 :名無しさん@3周年:03/02/04 01:31
保守age

73 :名無しさん@3周年:03/02/04 01:39
四個の真理のうち、苦しみを止める道とは簡単に言うと何?

74 :名無しさん@3周年:03/02/04 02:04
正しく見ること

75 :名無しさん@3周年:03/02/04 02:11
仏の教えについてさん はじめまして。
ここ、いいですね。ためになります。いろいろ教えてください。
>これは善い法だからたくさんの人に知らせよう!という心があるならば、その時点で
>執著があるのではないでしょうか?
執著=執着ですね?
すると、ブッダの「教え」なるもの(経典等)を残そうとした弟子たちの行為は
間違いであったとお考えでしょうか?


76 :金正日MkU改:03/02/04 02:16
>>75


若者を苛めないでいただきたい お手並みは拝見させていただく

77 :金正日MkU改:03/02/04 02:19
>>75

執着は悪ではない。執着が完全に無くなれば即身仏にならざるをえないからだ。

ブッダは氏ねとは言ってない。

78 :ゆり:03/02/04 02:20
はじめまして*^-^*
親切な方にここをご紹介いただきまして・・・
なんと言うか、観念ですね・・・

79 :名無しさん@3周年:03/02/04 02:34
>>76>>77
あなたには聞いていない
失せろ

80 :金正日MkU改:03/02/04 02:52




       やめろ >>79 君にはまだ








81 :金正日MkU改 ◆/0GEPxZNjA :03/02/04 02:54







仏の教えについてクンはニーチェが仏教を高く評価していたことを知っていると思うが。











82 :仏の教えについて:03/02/04 21:49
 他力本願について マハーパリニッバーナ第二章、九

「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか?わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。
完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳は、存在しない。
『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、あるいは
『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。
しかし向上につとめた人は『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、
あるいは、『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』とか思うことがない。
向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。
 アーナンダよ。わたしはもう老い朽ち、歳をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わた齢は八十となった。
譬えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らくわたしの身体も革紐の助けによってもっているのだ。
 しかし、向上につとめた人が一切の相をこころにとどめることなく一部の感受を滅ぼしたことによって、
相の無い心の統一に入ってとどまるとき、そのとき、かれの身体は健全(快適)なのである。

83 :仏の教えについて:03/02/04 21:49
それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をとよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、
他のものをよりどころとせずにあれ。
では、修行僧が自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、
他のものをよりどころとしないでいるということは、どうして起るのであるか?
 アーナンダよ。ここに修行僧は身体について身体を観じ、熱心に、よく気をつけて、念じていて、
世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
 感受について感受を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
 心について心を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
 諸々の事象について諸々の事象を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、
世間における貪欲と憂いとを除くべきである。
 アーナンダよ。このようにして、修行僧は自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、
法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいるのである。
アーナンダよ。今でも、またわたしの死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、
法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、
かれらはわが修行僧として最高の境地にあるであろう、 ── 誰でも学ぼうと望む人々は ── 。」

84 :仏の教えについて:03/02/04 22:17
>75さんへ

 法に対する執著について

〔筏の譬喩〕
「修行僧らよ、実にかくのごとくにここに或る善男子らは法を完全に体得する。
すなわち、経・応頌・授記・諷踊・感興語・如是語・本生・未曽有法・方広を完全に体得する。
かれらはその法を完全に体得して、それらの法の意義を智慧もて究明する。それらの法はそれらの意義も智慧もて
究明しつつある人々を歓喜せしめる。
かれらは論結の快を貪るために、饒舌にふける快を貪るために法を学ぶのではない。
かれらが法を学ぶ真の目的を体験しようとするのである。
それらの法がよく解せられたならば、かれらに永く利益・安楽をもたらすこととなる。
そのゆえはいかん。もろもろの法が良く理解されたからである。
それ故に、ここにわたくしの説いたことの意義を理解しそのままに受持せよ。

85 :仏の教えについて:03/02/04 22:19
またもしもわたくしの説いたことの意義を理解しないならば、それについてわたくしに問い返すべきである。
あるいはまた賢明なる修行僧らがあれば、かれらに問うべきである。
修行僧らよ、汝らが救い渡されんがために、執着せざらんがために、筏の譬喩の法をわたくしは説くであろう。
それを聞き、よく思念せよ。今からわたくしは説こう」と。
「かしこまりました」と修行僧らは尊師に答えた。
そこで尊師は次のことを説きたもうた。

「修行僧らよ、譬えば街道を歩み行く人があって、途中に大水流を見たとしよう。そうしてこちらの岸は
危険で恐ろしく、かなたの岸は安穏で恐ろしくないとしよう。しかもこちらの岸からかなたの岸に行くのに
渡し舟もなく、また橋もないとしよう。
そのときかれが思うに、<これは実に大水流である。そうしてこちらの岸は危険で恐ろしく、かなたの岸は
安穏で恐ろしくない。しかもこちらの岸からかなたの岸に行くのに渡し舟もなく、また橋もない。さあ、
われは草・木・枝・葉をあつめて筏を組み、その筏に依って手足もて努力して安全にかなたの岸に渡ろう>と。
そこでその人は草・木・枝・葉をあつめて筏を組み、その筏によって手足で努めて安全にかなたの岸に
達したときに、次の思いが起ったとしよう、すなわち<この筏は実にわれに益することが多かった。
われはこの筏によって手足で努めて安全にかなたの岸に渡り終えた。さあ、われはこの筏を頭に載せ、
あるいは肩い担いで、欲するがままに進もう>と。

86 :金正日MkU改 ◆/0GEPxZNjA :03/02/04 22:21



2CHは饒舌にふける快がなければ存在できないわけだが。





















87 :仏の教えについて:03/02/04 22:22
あるいは肩い担いで、欲するがままに進もう>と。
修行僧らよ、汝らはそれをどう思うか。かの人はこのようにしたならば、その筏に対してなすべき
ことをなしたものであろうか。」
〔修行僧らいわく〕「そうではありません、尊師よ。」
〔尊師いわく〕「しからば、修行僧らよ、その人はどうしたらなば、その筏に対してなすべきことをなした
ものとなるであろうか。ここにかの人が渡り終わってかなたの岸に達したとき、次のように思ったとしよう、
すなわち<この筏は実にわたしに益することが多かった。わたくしはこの筏によって手足で努めて安全に
かなたの岸に渡った。さあ、わたくしはこの筏を岸に引き上げ、あるいは水上に浮べて、
しかるのちに欲するがままに進もう>と。
修行僧らよ、かの人がこのようにしたならば、その筏に対してなすべきことをなしたものであろう。

修行僧らよ、このように、救い渡されんがために、執着せざらんがために、
この筏の譬喩の法をわたくしは説いたのである。
修行僧らよ、実に筏の譬喩を知っている汝らによって法もまた捨てらるべきである、いわんや非法をや。」

88 ::03/02/04 22:24
先生はどんなOCRソフトを使ってるんでつか?

89 :名無しさん@3周年:03/02/04 23:00
今の世の中でも、貪欲と憂いをなくせば安楽だね。
貪欲は欲望への執着、憂いは自分がなにか失敗したことや、
損したことへの執着かな?また、明日の生活への不安とか。
何もなくなってもよいと開き直り、それを安楽と思えば
憂いも少なくなるのだろうが・・・・・

90 :75:03/02/04 23:04
>>84>>85>>87
仏の教えについてさん
ありがとうございました。

91 :金正日MkU改 ◆/0GEPxZNjA :03/02/04 23:07





            放置プレイキタ━━━━(Д゚(○=(゚∀゚)=○)Д゚)━━━━━!!!








92 :仏の教えについて:03/02/05 17:12
age 下記のスレを読んで感想などご自由にどうぞ

1、真理を聞くのはなぜか?
2、ブッダは霊魂を否定したかどうかの疑問について
3〜5、さまざな宗教・仏教(宗派)・論議について
82〜83、他力本願について
84〜87、法に対する執著


93 :名無しさん@3周年:03/02/05 21:34
>83
自灯明 法灯明とはこのようなことだったのか・・・・・

94 :名無しさん@3周年:03/02/05 21:43
1、世間と自分をよりどころとすると心休まることなく一生を終える
  

95 :名無しさん@3周年:03/02/05 21:58
テレビ局は普段増税しろとか喚いてるくせに,税金ガメてこんなもの作ってます
http://members32.cool.ne.jp/~yuzer8/tocho.html
盗聴/盗撮器です

96 :仏の教えについて:03/02/06 20:11
age 下記のスレを読んで感想などご自由にどうぞ

1、真理を聞くのはなぜか?
2、ブッダは霊魂を否定したかどうかの疑問について
3〜5、さまざな宗教・仏教(宗派)・論議について
82〜83、他力本願について
84〜87、法に対する執著について

97 :名無しさん@3周年:03/02/08 01:00
>87
欲するままの心と行動をなくし、自由意志で生きることでいいのか?
欲する心がなければ、どこにいても安穏だな。

98 ::03/02/08 01:09
少し無沙汰でした。私なりに色々考えていたのですが、インドというのは今もそうですが貧富の差が物凄いですね。
昔も変わらなかったと思います。
そういう状況での「欲」[執着]etcと言う場合は、今日の日本のような平等社会に生きる我々とは、かなりのギャップがあるのでは?等と思いました。
日本の場合は冗談で、社会主義が唯一成功した国と言われてますものね。
同じ言葉を使ってても、意味合いが違うと言うか、言葉の意味の強さが違うと言うか、、、
ご意見があれば、お願い致します。

99 :空論者:03/02/08 02:16
ブッダの言葉に関係しないですがすみません。
>98
インドに行った事ありますか?
アーリヤ制度よく言わるのが肌制度(ポルトガルではカースト制度だったようなきがします)
それがあるいうえに今なお経済発展を遂げた今日でも残っています。
この肌制度というのは、生きるものとして生まれた時点で、この世界での存在は前世の業で決まり
そして、何千という地位の中に入るのです。その中に不可殖民という存在もいます。
不可殖民という者に関しては、詳しくレポートしているのは山際素男と言う人です。
これを見たらインドの見方が変わると思います。

今回はこれでご勘弁を
三帰依文(pali文)
 ブッダム・サラナム・ガッチャーミ
 ダンマム・サラナム・ガッチャーミ
 サンガム・サラナム・ガッチャーミ


100 ::03/02/08 03:44
>99
インドに行った事はありません。
アンタッチャブル(不可触賤民)が居る事は承知してます。
何を仰りたいのか意味が分かりません。

101 :名無しさん@3周年:03/02/08 13:12
破滅する人
1.栄える人を識別することは易く、破滅を識別することも易い。理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗れる。
2.悪い人々を愛し、善い人々を愛することなく、悪人のならいを楽しむ。
3.睡眠の癖あり、集会の癖あり、奮励することなく、怠りなまけ、怒りっぽいので名だたる人。
4.みずからは豊かで楽に暮らしているのに、年老いて衰えた母や父を養わない人。
5.道の人または他の人を、嘘をついてだます人。
6.おびただしい富あり、黄金あり、食物ある人が、ひとりおいしいものを食べる。
7.血統を誇り、財産を誇り、また氏姓を誇っていて、しかも己が親戚を軽蔑する人。
8.女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り、得るにしたがって得たをその度ごと失う人。
9.おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる人。
10.青春を過ぎた男が、ティンバル果のように盛り上がった乳房のある若い女を誘き
   入れて、かの女についての嫉妬から夜も眠られない。
11.酒肉に荒み、財を浪費する女、またはこのような男に、実権を託す。

現代人はこのようなことに気をつければいいと思う。
それ以上は、いくら欲の目で仏典を見ようと、深く追求をして論議を交わそう
と、安らぎを求めなければひとつも正しい見解を得られることはないと思われる。

102 :仏の教えについて:03/02/08 15:07
安らぎについて

 死ぬよりも前に (スッタニパータ第四、十)
848 「どのように見、どのような戒律をたもつ人が『安らかである』と言われるのか?ゴータマ(ブッダ)よ。
おたずねしますが、その最上の人のことをわたくしに説いてください。」
849 師は答えた、「死ぬより前に妄執を離れ、過去にこだわることなく、現在においてもくよくよと
思いめぐらすことがないならば、かれは(未来に関しても)特に思いわずらうことがない。
850 かの聖者は、怠らず、おののかず、誇らず、あとで後悔するような悪い行いをなさず、よく思慮して語り、
そわそわすることなく、ことばを慎しむ。
851 未来を願い求めることなく、過去を思い出して憂える事もない。〔現在〕感官で触れる諸々の対象について
遠ざかり離れることを観じ、諸々の偏見に誘われることがない。


103 :仏の教えについて:03/02/08 15:10
852 (貪欲などから)遠ざかり、偽ることなく、貪りを求めることなく、もの惜しみせず、傲慢にならなず、
嫌われず、両舌(かげぐち)を事としない。
853 快いものに耽溺せず、また高慢にならず、柔和で、弁舌さわやかに、信ずることなく、
なにかを嫌うこともない。
854 利益を欲して学ぶのではない。利益がなかったとしても、怒ることがない。妄執のために
他人に逆らうことがなく、美味に耽溺することもない。
855 平静であって、常によく気をつけていて、世間において(他人を自分と)等しいとは思わない。
また自分が勝れているとも思わないし、また劣っているとも思わない。かれには煩悩の燃え盛ることがない。
856 依りかかることのない人は、理法を知ってこだわることがないのである。かれには、生存のための妄執も
生存のための妄執も存在しない。
857 諸々の欲望を顧慮することのない人、 ── かれこそ〈平安なる者〉である、とわたくしは説く。
かれには縛めの結び目は存在しない。かれはすでに執著を渡り了えた。

104 :仏の教えについて:03/02/08 15:12
858 かれには、子も、家畜も、田畑も、地所も存在しない。すでに得たものも、捨て去ったものも、
かれのうちには認められない。
859 世俗の人々、または道の人・バラモンどもがかれを非難して(貪りなどの過)があるというであろうが、
かれはその(非難)を特に気にかけることはない。それ故に、かれは論議されても、動揺することがない。
860 聖者は貪りを離れ、慳みすることなく、『自分は勝れたものである』とも、『自分は等しいものである』
とも、『自分は劣ったものである』とも論ずることがない。かれは分別を受けることのないものであって、
妄想分別におもむかない。
861 かれは世間において〈わがもの〉という所有がない。また無所有を嘆くこともない。
かれは〔欲望に促されて〕、諸々の事物に赴くこともない。かれは実に〈平安なる者〉と呼ばれる。」

105 :空論者:03/02/08 15:15
>100
まだ、若造で知識不足ですみません。しかもこの掲示板事態に投降したりするのが
まだ不慣れなもので。

皆さんに質問ですが。こんなのに興味ありますか?
如是我聞 一時仏在〜(エヴァム マヤー シュタム/エカスミン サマエー バガヴァーニャ〜)の決まり文句
がありますがその後から独自の展開を持って仏典を作りませんか?
現代版の偽経になるので宗教原理主義者の方が見ていたらごめんなさい。
そして、レスを立ち上げたいのですが、賛成な方いませんか?
反対な人はすみません。変なことを書いてしまって。

106 ::03/02/08 17:11
どこかのスレにスッタニバータは廃刊になってる、、とか誰かが言ってたけど
まだ売っているのかなぁ?これは買わなきゃいけないなぁ。W
でも”仏の教えについてさん”が教えてくれるのだから買わなくてもいいか。W

107 :仏の教えについて:03/02/08 17:40
>106 岩波文庫で売ってます。
ブッダのことば スッタニパータ 中村 元訳 小さいサイズなら1000円もしません。
解説も載ってるので、詳しく知りたいと思うならば、ご自分で購入して読んでみた方が
わかりやすいと思います。


108 :名無しさん@3周年:03/02/08 18:48
>103
856 生存の断滅のための妄執も存在しない です

心の中にある全ての迷いを捨て、欲望を捨て、享楽や快楽に耽ることなく、
怒ることなく、平静なこころを保ち、しかし、睡眠するのではなくて起きて
いる状態であれば、安息の境地ニルヴァーナのすぐ近くにいると思われる。
できれば、その方向に自分を向ければ、心は平安でしょう。

>105
スッタ二パータを読み、少しでもそのように自分を近づけるようにしようと
すればそれでことは足りると思います。後は人それぞれの良心にまかせれば
いいのだと思います。

普段の生活に疲れた時、または、生活の中にスッタ二パータを取り入れること
で、少しは安らぎを取り戻せます。

109 :空論者:03/02/08 20:24
sutta nipa-ta(経集)っていうのは5nika-yaのkuddhaka nika-ya(小部)の一部だと分かっているが
それだけを言って何になるのですか?
言いますが、これをブッダの言葉とするならそれは世尊の言葉ですか?
おそれらくちがいます。ブッダといわれる存在は何人かいたとされます。
それはジャイナ教などの文献を見たら分かる事ですし、
単数でも複数でも取れる、仏教文献が多く存在する事を忘れてはいけません。
それでもあなたは経集を説きますか?

サッバパーパッサ アカラナム
クサラッサ    ウパサムパダー
サチッタパリヨーダパナム
エータム ブッダーナ サーサナム 
(ありとある悪をばなさず。善なるを行ないそなえ。
 自らの心をきよむ。これぞ実に諸々のほとけの教え。)

110 :仏の教えについて:03/02/09 00:18
>109さんへ
マハーパリニッバーナ 四、十五
八 「修行僧たちよ。ここで一人の修行僧が次のように語ったとしよう、 ──〈友よ。わたしはこのことを尊師からまのあたり直接に聞いた。まのあたりうけたまわった。 ──これが理法である。これが戒律である。
これが師の教えである〉と。修行僧らよ。その修行僧の語ったことは、喜んで受けとらるべきではないし、また排斥することもなく、それらの文句を正しく良く理解して、(ひとつずつ)経典にひき合せ、
戒律に参照吟味すべきである。それらの文句を、(ひとつずつ)経典にひき合せ、戒律に参照吟味してみて、経典(の文句)にも合致せず、戒律(の文句)にも一致しないときには、この結論に到達すべきである、
──〈確かに、これはかの尊師の説かれたことばではなくて、この修行僧の誤解したことである。〉と。修行僧らよ。それ故に、お前たちはこれを放棄すべきである。しかし、もしもその文句を、
(ひとつずつ)経典にひき合せ、戒律に参照吟味してみて、経典(の文句)に合致し、戒律(の文句)に一致するならば、結論としてこのように決定すべきである、 ──〈確かに、これはかの尊師の説かれたことばであり、
この修行僧が正しく理解したことである〉と。修行僧らよ。これが、第一の〈典拠への参照〉であるとうけたまわりなさい。

>109さんは背景ばかり気になさっているようですが、内容を読み、
そしてご自分でその内容を参照吟味してからその結論に達したのでしょうか?
 自分で内容を参照吟味して、もし違うのであれば、それを放棄すれば良いと思います。

111 :ダイサクを供養:03/02/09 00:31
帰三宝偈

『玄義分』に云わく、 先ず大衆を勧む、願を発して三宝に帰し、道俗時衆等、 おのおの無上心を発せども、
生死甚だ厭いがたく、 仏法また欣いがたし。共に金剛の志を発して 横に四流を超断し、弥陀界に願入して、 帰依し合掌し礼したてまつれ。
世尊、我、一心に、 尽十方法性真如海・ 報化等の諸仏・一一の菩薩の身・ 眷属等の無量なる・
荘厳および変化・ 十地・三賢海・時劫の満ちたまえると満ちたまわざると、 智行の円なると円ならざると、
正使の尽きぬると尽きざると、 習気亡ぜると亡ぜざると、功用と無功用と、 証智と証智せざると、
妙覚および等覚、 正しく金剛心を受け、相応一念の後の 果徳涅槃者に、帰命したてまつる。
我等ことごとく、 三仏・菩提尊に帰命したてまつる。無碍の神通力、 冥に加して、願わくは摂受したまえ。
我等ことごとく、 三乗等の賢聖の、仏の大悲心を学して、 長時に退することなき者に帰命したてまつる。
請い願わくは、遥かに加備したまえ。 念念に諸仏を見たてまつらん。我等愚痴の身、 曠劫よりこのかた流転せり。
今、釈迦仏の、 末法の遺跡、弥陀の本誓願、 極楽の要門に逢えり。定散等しく回向して、 速やかに無生の身を証せん。
我、菩薩蔵・ 頓教・一乗海に依りて、偈を説きて三宝に帰したてまつる。 仏心と相応す。
十方恒沙の仏、六通をもって我を照知したまえ。今、二尊の教えに乗じて、 広く浄土の門を開く。
願わくは、この功徳をもって、 平等に一切に施して、同じく菩提心を発して、 安楽国に往生せん。



112 ::03/02/09 00:36
空論者さんへ
経典自体が釈迦の死後、数百年後に編纂されているのですし、「後に」弟子によって付け加えられた部分もあるのかもしれません。
そうであったとしても、現代人の心にも入ってくる部分があれば、それは素直に受け入れる事が大事だと思うのですが。


113 :空論者:03/02/09 00:56
これ以上、議論はしないつもりですが、
誤解が生じると思うので言わしてください。編纂されたのは死後数ヶ月ぐらいとなっています。
今から言わないです。学者の考え方は捨ててもっと綺麗に読んだ方が良いですね。
比較宗教を専門としようとしているので文献としてみていしまうので、すみません。
ぼくも原始仏教はすきですよ。あり方としては小乗・大乗と言ったりしますが仏教はどれも根本的には
同じ事いってますしね。

114 :名無しさん@3周年:03/02/09 01:32
>109
生ける者に慈しみの心をもっていれば、自然と善行が果たせると思う。
慈しみを阻害するのが、欲望とよくないことへの執着だとなるのでは。
欲望とよくないことへの執着をなくするために慈しみの心を起せば良い
のかもしれないが。
どちらにせよ、自身の心の安らぎを求めない限り仏教を研究してもそれ
だけのことになると思うよ。
仏教から、心の安らぎ以外のことを求めるのは邪念から起こるのではないか。

115 :ニルヴァーナを見た ◆M9cxos8D9k :03/02/09 02:32
ニルヴァーナとは、
「自身は死ぬことはないと感じられ、同時に殺人者や自殺者の霊魂が悲しみさまようのを
感じられる境涯である。自身の全ての思いは、ほんの僅かなことと感じられ、全てから解き放たれた
ような感覚を得て、この世ではない無上の喜びを得る。そして勇気とできないことは何もないという
自身が沸き起こる。しかし、野望の妄執というものに捕らわれてしまいその境涯を失う。」

116 ::03/02/09 02:39
>113
死後、数ヶ月とは、、初めて聞いたけど、、、

117 :ニルヴァーナを見た ◆M9cxos8D9k :03/02/09 02:42
ニルヴァーナに近いものとは
「哀れみ、慈しみ、の心の状態がニルヴァーナに近く、誰かを思いやり、
自身が喜ぶことに近い。また、太陽の光に照らされた自然に心がなごむ
ことにも近く、自然の中で、ただ何も思わず考えることもなくただぼんやり
と楽しんでいればニルヴァーナに近いこととなる。」


118 :ニルヴァーナを見た ◆M9cxos8D9k :03/02/09 02:58
ニルヴァーナをやがて知るでしょう
「人は自身の寿命をまっとうし、その一生を終えたならば、ニルヴァーナ
を知るでしょう。そして、妄執に捕らわれなければ永遠の安息につく。
妄執に捕らわれれば、また生まれてしまう。」

119 :ニルヴァーナを見た ◆M9cxos8D9k :03/02/09 03:21
妄執とは
「野望であり、人が働く力となる。そして妄執に従属することによって、享楽や快楽を楽しむことが
できる。だが、それは妄執という悪からきてるのであり、享楽や快楽を楽しむことにより、安らぎを
失う。善行は慈悲から起こることとなるでしょう。善悪を識別することは、妄執からはじまっている。
ただ愛は善悪に捕らわれない。生まれくる人は善行の報いを受けて良い運命に生まれるでしょう。
逆に、享楽に耽る者はその報いを受けるかもしれない。
慈悲を常に保ち、自然に安らぎを見つけ、人の造った物に貪りがない人は、ニルヴァーナを好む者である
から、二度とこの地に生まれないか、苦難のない来世を望める。」

120 :空論者:03/02/09 12:04
> 116
貴方が理解しているのは第二結集、根本分裂の事ですよ。
若い者が律に対して不満を持ちそれに対して多くの長老比丘が集まったとされるが
若い者の不満は了解されず、破棄されたんですよね、だから大衆部というものになったんですよ。
おすすめの本は平川彰のインド仏教史上を読んでください。
でもこの人の一部分の言った事、在家大乗起源説は学者の間で議論されています。

121 ::03/02/09 18:46
空論者さん。ありがとうございます。
紹介してくださった本、機会があれば読んでみたいと思います。

122 :他力本願について:03/02/09 23:09
>>82
>他力本願について マハーパリニッバーナ第二章、九

とあったので、初期仏教における「他力仏教」の萌芽についての
引用かと思いきや、引用のなかにある
「自らをたよりとして、他人をたよりとせず」
とあるように、例によって(よくある)
「他力本願ではだめだ、自力更生でなくては」
の「他力本願」の意味に近い浅薄な他力の理解のように思われました。

浄土真宗における他力とは、
「他人をとよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、
他のものをよりどころとせずにあれ。」
この部分の教えに近いと思われます
(法=真如法性=阿弥陀如来=他力であるから)。

82さんはどちらのご趣旨で「他力本願」といわれたのか
ちょっと教えていただきたいのですが。。。

あまりにも「他力本願」について誤解しているかたが多いと思った
のでついカキコしました。
何かご意見、ご追加ございましたら他の方でもどうぞご指摘ください。

123 :名無しさん@3周年:03/02/10 00:49
http://www.dalailama.com/index.html

124 ::03/02/10 14:29
>123
ダライラマねぇ、、中国政府が別のダライラマを「用意」してる話はどうなりましたかね。
軍隊どころか、まともな武器さえないチベットを100万人の人民解放軍で制圧し「解放してやった。」などと言ってながら、
かつて45万人の中国軍が、たった1万人の日本の関東軍に負けて、「日本は軍国主義!」などと言ってるんですからね、、、中国は。

思いっきりスレ違いでした。すいません。


125 :仏の教えについて:03/02/10 19:32
>122さんへ
スッタニパータ 学生ドータカの質問より
1064 わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させ得ないであろう。
ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩の激流を渡るであろう。

他力本願が阿弥陀如来=法という事であるならば、私に誤解がありました。
ただ、私は、上記のようにブッダ(如来)=法、ではなく、如来=法の体現者、であり
法の体現者=法、ではないので、
「わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させ得ないであろう。」
と言っているのだと思っております。


126 :名無しさん@3周年:03/02/10 23:07
解脱の境地「すべての存在は水の泡か陽炎のごとし」を念じ、一切の迷いを断つ。
迷いの要因は、執着であり、また何かを求める心だろうと思う。
「人のいない林は楽しい。世の人の楽しまないところにおいて、愛著なき人々は楽しむ
であろう。かれらは快楽を求めないからである。」(真理のことば)
迷う要因の多い現在の世の中では、そのようなことも必要かもしれない。
法の体現者は、人の成仏の安穏を知る。成仏した人はこの世のすべてに愛着と欲望はなく、
あれやこれやと思いめぐらすこともなく、迷うこともなく、悟りに到達しているということ
でしょう。だから、安穏。






127 :仏の教えについて:03/02/14 16:29
age 感想などご自由にどうぞ

1、真理を聞くのはなぜか?
2、ブッダは霊魂を否定したかどうかの疑問について
3〜5、さまざな宗教・仏教(宗派)・論議について
82〜83、(他力)個人崇拝について
84〜87、法に対する執著について
102〜104 安らぎについて

128 :名無しさん@3周年:03/02/14 22:52
「ヴェーダの達人(真理に達した人)は、見解についても、思想についても、慢心に至ることがない。〜かれは宗教的行為
によっても導かれないし、また伝統的な学問によっても導かれない。」さまざまな願いがあり、一般的な宗教的活動を行い
願いを達成しようとするのだが、実質は気休めにしかならないのだろうか。
「一切の戒律や誓いをも捨て、(世間の)罪過あり或いは罪過なきこの宗教的行為をも捨て、清浄であるとか、不浄である
とかいって願い求めることもなく、それらにとらわれずに行え―安らぎを固執することもなく。」
「願い求める者には欲念がある。また、はからいのあるときには、おののきがある。この世において死も生も在しない者―
かれは何を恐れよう、何を欲しよう。」
ブッダのことばから、捨て去るべきもの(欲や執着など)をなるべく少なくすれば、宗教活動に翻弄されることはない。


129 :名無しさん@3周年:03/02/14 22:57
超・横レスでごみんちゃい、です♪
原始仏典を論じる崇高なスレッドに、私的な広告というのもホント恐縮ですが、
本日『葬式坊主をブッ飛ばせ!』なる掲示板をオープン致しました。
坊主叩き専門の板につき、折々にカキコいただけると幸いです。

http://tools.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/7710/@geoboard/

130 :ソーシキ仏教国:03/02/14 23:18
それでは、拙者も馳せ参じさせてもらおう!

131 :ソーシキ仏教国 :03/02/14 23:25
怒り心頭、お気持ちはわかるが少々、お言葉が乱暴なのではござらぬか?
みなみな方、どうでつか。。。

132 :名無しさん@3周年:03/02/15 02:11
バーミヤンの仏像破壊はもったいないことをしたと思いますか?

133 :名無しさん@3周年:03/02/15 09:35
仏像を拝む行為は、欲念からきているのではないかなどと思う。
しかし、仏像を拝むことで、その人が安心を得られればそれでいいのだろうけれど。
誰でも心ある人は、人の安らぎを得るものを破壊しようとしないのではないかと思われ。
でも、宗教的行事や祈願で心の平安を真につかむことができるのだろうか?
林など、人のいない自然の中で瞑想をし満足する。瞑想はしないが自然を楽しんだりす
ることも、仏の教えを行っているといえるのではないか。


134 :万年救護大本尊の朴蓮:03/02/15 14:17
仏像を壊す者。
本尊を壊す者が真の
仏教者であると思う。魔術の執着や呪いに
掛かってシンボルを
捨て切れない者は
結局心の奥で他人を
支配してやろう
操ってやろうって醜い欲望が渦巻いている。ヒトラーや北朝鮮などの独裁主義もシンボルを良く好む。

135 :墓は、御影石:03/02/15 14:42
仏壇仏具屋を壊す気かーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   仏壇仏具屋を壊す気かーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
      仏壇仏具屋を壊す気かーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

136 ::03/02/15 20:10
「悟り」についてお伺いしたいと思います。
家の宗旨が禅宗と言う事もあり、昔、何度か座禅を組んだ事があります。
続けてましたらば、何と言うか空がスーと落ちてくるような感覚に見舞われたことがありました。それ以降、我ながら性格が快活になったような気がします。
その後、臨済宗の僧侶が書かれた本を読んでいたとき、私の経験と同じ事が書かれていて少し驚きました。勿論、私の体験などたいした事ありませんが。

そういえば弘法大師空海が室戸岬で修行してた時、明星(金星)が体にドスーーンと入ってきたという話がありますね。
釈迦も空海と同じような(いやもっとカナ)、つまり「悟り」とは体験するものでしょうか?
どうも新しい知識を得たり、何かが分かったと思う時、「悟り」と思いがちですが。
変な質問ですいません。


137 :名無しさん@3周年:03/02/15 20:11
http://www.eonet.ne.jp/~nohohon/osaka-band.htm

138 :名無しさん@3周年:03/02/15 22:25
新しい知識を得たり、何かが分かったというだけでは「悟り」ではないでしょう。
「真理は一つであって、第二のものは存在しない」ので他のいかなる真理といわれる
ものは真理ではないのです。「この世において死も生も存在しないもの」が永遠の真理
に導く教えを語る者であり、「この上なき最上の喜びの境地(ニルヴァーナ)」ですから
なおさらブッダの教えを少しでも取り入れることにより、生活に喜びが得られると思うの
です。
歩さんは「性格が快活になった」ならば、それでいいと思います。
私は宗教活動などで、願いをかなえようと翻弄されることは「ブッダのことば」を読み
無意味であると思うようになり、安らぎを求めるべきだと思うようになりました。
特に創価学会の活動に疑念を抱くようになり、他宗教を排他的にする教えと、分裂した
日蓮正宗を攻撃することを信者に行わせ、本来は文字で書かれているものは理解するもの
なのに、わけもわからず朗読する勤行などなどにとらわれない人生を送りたいと思ってい
るのです。>136



139 :仏の教えについて:03/02/15 22:57
>>136さんへ
>つまり「悟り」とは体験するものでしょうか?

ブッダ
わたしは、知らねばならないことをすでに知り、修むべきことをすでに修め
断つべきことをすでに断ってしまった。それ故に、わたしは<悟った人>(ブッダ)である。

ナディー・カッサパ長老
わたしは、迷妄をすべて捨て去った。生存に対する妄執を打ち破り、生まれを繰り返す迷いの生存は
滅びてしまった。今や迷いの生存を繰り返すことはない。

悟りとは、上記のような明らかな知を得る(体得)することではないでしょうか?

140 :仏の教えについて:03/02/19 18:36
age 感想などご自由にどうぞ

1、真理を聞くのはなぜか?
2、ブッダは霊魂を否定したかどうかの疑問について
3〜5、さまざな宗教・仏教(宗派)・論議について
82〜83、(他力)個人崇拝について
84〜87、法に対する執著について
102〜104 安らぎについて

141 :名無しさん@3周年:03/02/19 20:33
「内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した修行僧は、この世とかの世と
をともに捨て去る。」

修行僧でなくても、さまざまな情報に憂いとこだわりなどをなくせば、それだけ
でも安らぎが得られると思う。
不正に怒らない。不景気に憂いを持たない。「未来に望みをかけることもなく」
今現在、何も(不幸)がないことに幸せを感じればいいのでしょう。



142 :ソーシキ仏教、びゃんじゃい!:03/02/19 22:29
いや、無明が故に不正している方々にこそ、仏法を知ってほすぃなぁ・・・

143 :名無しさん@3周年:03/02/20 19:53
仏教がバックにある公明党などは、自分たちの欲などを目指さない党かも
利権や地位に惑わされず、平和や慈悲ある社会を目指す党なら信頼ができる

144 :名無しさん@3周年 :03/02/20 20:02
>>143
あんた、s価学会の手先だろうが。
スレが違うよ、スレが。
s価学会なんて仏教じゃないよ。
嘘つき池田野郎をよく観察すれば自明のこと。

145 :ソーシキ仏教、びゃんじゃい!:03/02/20 22:43
そう来るかぁ・・・・
「国民の為」より、一にも二にも「駄作しぇんしぇ〜の為」
という政党は、願い下げなんだが・・・・

146 :名無しさん@3周年:03/02/20 23:43
「自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみ語れ。これこそ実に善く説かれたことば
なのである」「好ましいことばのみ語れ。そのことばは人々に歓び迎えられることばである。
感じの悪いことばを避けて、他人の気に入ることばのみを語るのである。」

>143
公明党もいいところがあるかもしれないけれど、自分たちの宗教のみが正しい、あとは邪教と
しているので多くの人々に反感をかってしまう。
おおよその宗教は、少なくとも人の悪に歯止めを利かす役割を果たしているのではないか(一部
を除いて)
自分たちの宗教のみが正しいと主張することにより、家庭内で争いが起こってしまうことも。
そこらへんがなくなればいいのかもしれない・・・・・。

147 :名無しさん@3周年:03/02/21 07:08
ベゲザンビーク

148 :名無しさん@3周年:03/02/21 22:25
「或るものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものはそれとは異なった
ものとなる。何となれば、その愚者のその考えは虚妄なのである。過ぎ去るものは虚妄
なるものであるから。安らぎは虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理である
と知る。かれらは実に真理を悟るが故に、快を貪ることなく平安に帰しているのである。」

成仏できた人がこの世のことを悩まないように、一切に思いをめぐらすことがないならば
その人の心は平安であり真理に近い。

149 :         :03/02/21 23:15
欲/欲/欲の坊主は、どうしましょ・・・・

150 :名無しさん@3周年:03/02/22 00:16
>>130 :ソーシキ仏教国 :03/02/14 23:18
それでは、拙者も馳せ参じさせてもらおう!
>>131 :ソーシキ仏教国 :03/02/14 23:25
怒り心頭、お気持ちはわかるが少々、お言葉が乱暴なのではござらぬか?
みなみな方、どうでつか。。。

せっかくお待ち申し上げておったのに、残念至極です(笑)。
しかし掲示板に締め切りなんぞございませぬから、
いつでも気が向いた時に、どうぞお越し下さい♪
お上品なご批判も、もちろん歓迎いたしまする♪

151 :ソーシキ仏教国 :03/02/22 00:26
おっ、これはこれは拙者としたことが、ご無礼つかまつった。ゴメンチャイ。
ほんじゃ、一筆書かせてもらいまーす。
                            すわっ

152 :仏の教えについて:03/02/23 09:40
age 感想などご自由にどうぞ

1、真理を聞くのはなぜか?
2、ブッダは霊魂を否定したかどうかの疑問について
3〜5、さまざな宗教・仏教(宗派)・論議について
82〜83、(他力)個人崇拝について
84〜87、法に対する執著について
102〜104 安らぎについて

153 :名無しさん@3周年:03/02/23 10:20
>>152
 
1.人生に疑問を持つからでしょう。
2.霊魂などの問題に付いては、無記にしたでしょう。
3〜5.沈黙を重要視したんでしょう。
82〜83.まず、自分を知ることに重点を置いたでしょう。
84〜87.法をわがものにすることはできないでしょう。
102〜104.安らぎは精神的なありかたにとって重要なものだと思います。

154 :名無しさん@3周年:03/02/23 10:23
小鳥が、餌のあるとこに舞い降りるごとし、そのようにあるもんであればいいし、
そうゆう中で語りかけてくるもんです。
無欲で丹精込めた作品の方が、結果的には優れるもんです。
つまりは、作品が私に教えるんでしょうね。相互依存そのもんが智慧なんでしょう。
そこに留まらずして、智慧は智慧を呼ぶ。善因善果。生かすは内外あらず。


155 :ニルヴァーナを見た ◆M9cxos8D9k :03/02/23 21:34
>150
人は死ぬことはないと知ったから、怖くて坊主叩きなんてできないよ〜
識別作用を捨てて、できればどのような人にも慈しまなければならないのだから
人を叩くなんて来世に悪因を積むことになるのでは?と思う。


156 :平成の論師:03/02/23 21:48
>>155
ブッダは、死者儀礼を行っていたバラモン僧を詐欺師、ペテン師と
言わんばかりに激しく論難している。坊主叩きの元祖はブッタだと知りなさい。

157 :チーン:03/02/23 22:17
ニルヴァーナを見た  ← こういうコテハンを使うような輩が、いかにも
言いそうなことだ罠。

158 :もしも:03/02/23 22:25
仏様教えてください。

性愛の快楽は罪だ…という意識があるみたいなんです。

官能的な恋愛は、罪なのでしょうか。

私には、恋におぼれてみたいという欲求があります。
もともと罪を負う運命にあるのでしょうか。
キリストの方にお教え願うべきでしょうか。

159 :もしも:03/02/23 22:40
この世の苦しみを、消去できるというならば
それは、素晴らしい事だと思います。
私はそれを追及するし、幸福のなかに、永遠にいたい。

私は、たとえ苦しくとも、異性に求められたいという欲求があります。
私は異性を、心から求めています。異性に好かれたい。
露骨な表現をさせていただくと、その人を、抱きしめたい、
その人が苦しみの中にいるのならば、私はその人を救ってあげたい。

こういう感情は、一体、なんなのでしょうか。神、仏も関係なく、
ただ、まぎれもなく、実感として、その人を好いている
この現世で求めているという、この実感。

恋というのは、子孫を残す原因となります。
この世が、苦しみに溢れた世界だというのであれば
愛する我が子を、この世に誕生させるのは、
この上ない、罪であり、事実、苦しむ子供達の姿をみることにも
なるようです。

恋愛というのは、つまり、なんなのでしょうか。
罪なのでしょうか。
人を愛したいという気持ちは、あってはならないのでしょうか。
本当に、わからないんです。
教えてください。

160 :名無しさん@3周年:03/02/23 23:51
「父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、
―これがこよなき幸せである。」
「欲情は邪道といわれる」
異性を性欲の対象のみとする人がいけないのでしょう。
飽きたら別れるというのがなくなればいいのかも。

161 :もしも:03/02/24 00:03
私がその人を抱きしめれば、その人も心地よいだろうと
そして、それ以上に、相手が幸福を得ながらにして、
私も、確たる、正真正銘の幸福感に包まれるんです。

相手が、少しでも不快感を感じているのであれば
それは、私も不快だから、その人に触れたりはしないでしょうけど。

性欲の対象とすることが、相手にとって好都合だった場合
これは、罪になるんでしょうか。
純粋な幸福感…そして、それは、いつか消えるもの…それをわかっていながら
一時の幸福に身を任せることは、罪になるんでしょうか。

162 :みほとけの教え:03/02/24 00:15
もしも さん
お子さんというだけじゃなく、あなた自身もですよ。
パートナーが(あるいは、自分が)事故や事件に巻き込まれて死にやしないか・・・
いや、不治の病で・・・   結婚して、コウノトリが赤チャンを運んできてくれた
としましょう。先ず、十月十日無事に流産することなく産まれてくるだろうか・・・
もう今宵は遅いですので、この辺りにさせていただきますが延々と続くこういう事を
あなたも思い当たるだけ想像なさっては、いかがでしょうか。
とにかく、あなたは今、仏門をくぐっておられますぞー!!!


163 :もしも:03/02/24 00:40
>>とにかく、あなたは今、仏門をくぐっておられますぞー
はい、そうです。このスレッドをみて、大いに共感して
私の価値観と、随分重なるところがあるな、解決してくれそうだなと
思いましたが。。
あなたの言葉に驚きました。
どうして、わかりましたか?
どこでわかりましたか。
私の考え方は、つまり仏の中の範囲で、私の疑問は、仏の中で解決されうる
ということですよね。私が仏門をくぐっているというのであれば…。
はっきりいって、あなたがすごいとおもいました。

でも最初の文章から、私がなにをどうすればいいのか、
は、ちっとも伝わってきません。もう少しお言葉を頂けませんか。
今、私の迷いを晴らす考え方や思想は
私のこれからの人生観に、大きな飛躍となりそうなんです。

164 :みほとけの教え:03/02/24 01:03
夜も更けてますのに眠れないでは、ありませんか。(笑う所
また、明日の夕方とか夜でしたら、わたし、こちらに来させて
もらおうと思ってます。ノイローゼにならない程度に!、
上の例のようなことに思いを馳せて、ご一考されては、とだけ
今宵は申し上げさせていただきます。言葉足らずスイマセン。

165 :もしも:03/02/24 01:54
苦しみに満ちた瞬間。
というのは、あります。たしかにあります。
けれど、喜びに満ちた瞬間というものも、知っている。。。

苦しさっていうものは、この世にあるべきではない、、、
のではないでしょうか。
本当に、消滅しますか。死滅しますか。
私達、人間は、皆、苦しみから逃れよう、幸福を掴もうとしているはずです。
自棄になった人生など、ちっともおもしろくありません。
精神を持った『物』は、一切の苦しみから逃れるべきだ。
宇宙のどこにも、不幸という概念は存在してはいけないとおもいます。
安らぎと優しさに溢れた、希望の世界。宇宙はそうであるべきと。。。

人生21年。短いように思えますが、さんざんな思いをして
ここまで成長しました。
幸福になりたい。この想いに、嘘の間隙、非難の声は
あってはならないはずなんじゃないでしょうか…。

質問:人は何故、現世を何も知らず生まれてくるんですか。孤独を持ち、
それが愛によって埋められるということを、先天的に知っている…
…人は、なぜ、なにをしに、生まれてきたんですか。

人はなぜ、他人の幸福を妬み、他人の不幸を幸福に変換
するのでしょう。
間違ってる!人の脳みそ!

166 :名無しさん@3周年:03/02/24 21:37
>165
あなたの言うとおりだと思います。165は私の心そのもの。
こうして仏典などを読むのもそのような心があるからです。
自分の幸福感を安らぎに変換しようとして、羨望や妬みなどを
なくそうとしていますが、生きている以上、いろいろな悩みが
でてきます、私たちは仏ではありませんので。
しかし、仏教に接することによって私は以前より苦悩が少なく
なりました。

167 :名無しさん@3周年:03/02/24 22:26
>>158 キリストの方にお教え願うべきでしょうか。

キリストに出会うなら↓のホームページが一番です。

    http://www.icfforum.com/

メインBBSにちょいと書き込んでごらん。まじめなクリスチャンたちが
どっと回答してくれます♪

168 :はしだすがこ:03/02/24 22:33
キリスト教は、フィクション・つくり話だからなぁ・・・
いいよ、よく出来てるとは思うけど
ま、好みの問題でさあねぇ。

169 :名無しさん@3周年:03/02/24 22:59
スッタ二パータと新約聖書はよく似ているよ。
真理は一つで第二のものは存在しないか・・・・・
ブッダもイエスも同じ真理のもとで語っている。
ただ、イエスは御国で釣って真理を人々に教えているけど。
ブッダは真理そのものだろうけど、求法者じゃないと誰も聞かない。

170 :仏の教えについて:03/02/24 23:18
 聖者と神々並びに世人の安楽について

759 有ると言われる限りの、色かたち、音声、味わい、香り、触れられるもの、
考えられるものであって、好ましく愛すべく意に適うもの、−
760 それらは実に、神々並びに世人には「安楽」であると一般に認められている。
またそれらが滅びる場合には、かれらはそれを「苦しみ」であると等しく認めている。
761 自己の身体(=固体)を断滅することが「安楽」である(自殺とは全く異なる)、と諸々の聖者は見る。
(正しく)見る人々のこの(考え)は、一切の世間の人々と正反対である。
762 他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。
他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。
解し難き真理を見よ。無知なる人々はここに迷っている。
763 覆われた人々には闇がある。(正しく)見ない人々には暗黒がある。
善良なる人々いは開顕される。あたかも見る人々には光明があるようなものである。
理法が何であるかを知らない人々には、この真理は実に覚りがたい。
764 生存にとらわれ、生存の流れにおし流され、
悪魔の領土に入っている人々には、この真理は実に覚りがたい。
765 諸々の聖者以外には、そもそも誰がこの境地を覚り得るのであろうか。
この境地を正しく知ったならば、煩悩の汚れのない者となって、まどかな平安に入るであろう。

171 :仏の教えについて:03/02/24 23:21
>165さんへ
質問の答えはブッダは霊魂を否定したかどうかについてを読んでください

「一切の戒律や誓いをも捨て、(世間の)罪過あり或いは罪過なきこの宗教的行為をも捨て、
清浄(幸福)であるとか、不浄(不幸)である
とかいって願い求めることもなく、それらにとらわれずに行え

―安らぎを固執することもなく。」

以下は仏教とは関係のない方から抜粋した文章です。参考までに
思考は快楽に持続性を与え、そのような見せかけの持続性をわれわれは幸福と呼んでいるのである。
それと同様、思考は悲しみにも持続性を与える。
思考は「私はこれは好きだが、それは嫌いだ。だから好きな方を持続させて、嫌いなものは捨ててしまいたい」と言う。
しかしどちらも思考がこねあげたものなのであり、
幸福は思考によってこねあげられたものになってしまったのである。
「私は幸福にひたり続けたい」とあなたが言うとき、あなたは思考そのものであり、
あなたを構成しているものは自分が快楽、幸福と呼んでいる以前の経験についての記憶にほかならない。
そのように、昨日、あるいは数多くの昨日からなる過去すなわち思考が、
「私が前に感じたような幸福な状態にいつまでもいたい」と言うわけである。
あなたは死んだ過去を現在によみがえらせ、それが明日なくなるのではないかと恐れているのである。
こうして連続性の鎖が作りあげられる。この連続性は昨日の死灰に根ざしており、それは何ら生きたものではない。
死灰からは何も花開くことはできない ── そして思考こそはその死灰にほかならない。
このようにあなたは幸福を思考の枠に閉じこめ、思考を通してしか幸福に思いいたらなくなってしたったのである。
 しかし、快楽や苦痛、思考がいう幸福あるいはほかには何もないのであろうか。
思考の手が届かない祝福、恍惚の境地はないのであろうか。
思考というものはまことに陳腐なもので、独自なものは何ひとつ持っていない。
このように問いつめることによって、思考は自己放棄に至ることであろう。
思考が自らを放棄するとき、そこには放棄におのずから伴う規律が現れ、
それが節度ある優しさとなる。そのとき禁欲は粗暴で冷酷なものではなくなる。
粗野な禁欲は快楽や放縦に対する反発としての、思考の産物である。

172 :お粗末ですが:03/02/24 23:31

東洋のバイブルと謳われてるのは、法句経(ダンマパダ)だよね。

173 :名無しさん@3周年:03/02/24 23:39
■実況中継!日本テーラワーダ仏教協会の変質
http://mentai.2ch.net/psy/kako/983/983189611.html


174 :名無しさん@3周年:03/02/25 20:39

コーサラ国王パセーナディは、尊師に次のように言った、「尊いお方さま。わたくしがここに独り隠れて坐して
沈思していたときに、このような思考が起こりました。―「世の中では、種々莫大な富を得ても、酔わず、なま
けず、愛欲に耽らず、生ける者どもに対して過ったことをしない人々は、少ない。ところが世の中では、莫大な
富を得て、酔い、なまけ、愛欲に耽り、生ける者どもに対して過ったことをする人々は、さらに多い」と。

 愛欲の享楽に執著し、愛欲を貪って、迷っている人々は、道を外れるのに気がつかない。鹿がわなにかけられ
 ても気がつかぬようなものである。のちにかれらには苦渋がある。その報いは悪い。
『神々との対話』

(世の中、金持ちでも働きもせず自分の享楽のみに生きる人は少ない。享楽のみに生きる報いの悪さをすでに
知っている。真理からの安楽は享楽や愛欲でないと知ることで、それらを慎むことが大切でしょう)

175 :スマネー:03/02/25 22:36
>>173
金満・ニッポンに住み慣れすぎて、スマナサーラ師も、おカネに
目覚めちゃったんだろうね!

176 :名無しさん@3周年:03/02/26 21:50
>>159
>こういう感情は、一体、何なのでしょうか。
多分、その感情を生み出しているところの「根」にあるのは「愛」と呼ばれているもの
の本質でしょう。ただ、それが異性だけに強調されて向けられているのがちょっと私は
違和感と覚える。まあ、二十歳そこそこの若さならしょうがないとも思うけど。
罪などと、あまり考え込まずに失敗から学んで成長していく方が、実のある人生になる
と思いますよ。
もし、宇宙の法、秩序に「罪」というものがあるとしても、何が罪で何が罪でないのか
は、基本的に自分の経験から学ぶしかないと思うし、それが実践だし、生きるという事
でしょう。

177 : :03/02/26 22:19
>>159
完全に100%を目指すんであれば、俗世間を離れて
「出家」するしかないんだが・・・     如何に

178 :仏の教えについて:03/02/28 16:56
age 感想などご自由にどうぞ

1、真理を聞くのはなぜか?
2、ブッダは霊魂を否定したかどうかの疑問について
3〜5、さまざな宗教・仏教(宗派)・論議について
82〜83、(他力)個人崇拝について
84〜87、法に対する執著について
102〜104 安らぎについて

179 :名無しさん@3周年:03/03/01 01:21
完全でなくても、太陽の光に反射した自然を見たとき心がやすらぐ。
そこで、じっとして、くよくよと思い巡らすことなく、そよ風を感じながら
楽しむ。ブッダのことばの中で、やってはならないこと、離れるべきことは
多いが、楽しみはというと、

「かれは思慮深く、瞑想に専念し、林の中で楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いに
みずから満足すべきである」(スッタ二パータ)
「日も盛りの時、鳥どもが枝にとまっているときに、大きな森が鳴りひびく。それは、
わたしには楽しみと思われる。」(神々と語る)

などです。



180 :この世への賛美:03/03/01 01:30
少ないかもしれませんが、これだけでも
もう感動もんじゃあ、ありませんかーーーー。

181 :ニルヴァーナを見た ◆M9cxos8D9k :03/03/01 10:40
人は、野望の妄執というものに従属して安らぎである真理から離れた。
人の手で造られたすべては、妄執から造られたものであり、それらから離れることは
安らぎに近づく一歩といえる。ニルヴァーナはくよくよ思い巡らすことはない。こだわり
や欲求からくるありとあらゆる思いから離れている。意識を失っているものでもなく、
眠っているのでもない。この上なき最上の喜びとともにある。
自然の中で楽しみ、瞑想して、寒い暑いという不快感を退ければ、喜びと安らぎのニルヴ
ァーナに最も近い。その時、人の心は清められるのでしょう。



182 :名無しさん@3周年:03/03/01 10:41
http://pinktower.com/www.hankshoneys.com/asian/movies/loni0121.mpg
http://pinktower.com/www.adultsexmovie.net/movies/hard148a.mpg
http://pinktower.com/dgnews.doublecharge.net/data/0001-006.wmv
http://pinktower.com/www.porngator.com/video_files/021004/black_latex_fisting_02.mpg
http://pinktower.com/tgp.gammacash.com/brunob/54a-2002-10-16/videos/v00143/V00143_t11_350.mpg




183 :チン  チーン:03/03/01 18:52
性欲も、その後に起こる諸々の因・縁に思いを馳せれば
萎えてくるわな。
上のニイチャンとは、縁遠そうだが・・・

184 :名無しさん@3周年:03/03/02 00:50
「世間は妄執によって導かれる。世間は妄執によって悩まされる。妄執という一つのものに、
一切のものが従属した。」「妄執が人を生まれさせる。人の心が走り廻る。生存するものが、
輪廻に堕している。人は苦悩から解脱しないのである。」(神々との対話)
「死ぬよりも前に、妄執を離れ、過去にこだわることなく、現在もくよくよと思いめぐらす
ことがないならば、未来に関しても特に思いわずらうことがない。」(ブッダのことば)

特に年老いた時に妄執を離れることが必要なのか。




185 :神の望み:03/03/02 11:05
わたくしは怒ることなく、心の頑迷さを離れている。〜 わが小舎はあばかれ、欲情の火は消えた。
わが筏はすでに組まれていて、よくつくられていたが、激流を克服して、すでに渡り終わり、彼岸
に到達している。もはや筏の必要はない。
わが心は従順であり、解脱している。永いあいだ修養したので、よくととのえられている。わたくし
にはいかなる悪も存在しない。
わたくしは何ぴとの傭い人でもない。みずから得たものによって全世界を歩む。他人に傭われる必要
はない。
未だ馴らされていない牛もいないし、乳を飲む仔牛もいない。孕むんだ牝牛もいないし、交尾を欲する
牝牛もいない。牝牛どもの主である牡牛もここにはいない。
牡牛のように結縛を断ち、くさい臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、わたくしはもはや母体に
入ることはないであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。(スッタ二パータ)

 それで雨が降ったのだが、わたしたちは神に仕えていると思っている人がいるが、ねがい求める欲念
 が捨てきれないのでは?と思う。ブッダのようになることこそが神の望みであり、神のためとして、
 宗教的行事を喜ぶだけでは、聖者の意図とすることと違ったものとなるのでは?
 

186 :ニルヴァーナを見た ◆M9cxos8D9k :03/03/04 23:51
人は野望の妄執というものに従属した。妄執という悪を受け入れたのです。
それ以前の状態であることが、神聖であり、罪のない状態なのです。
この世は欲界であり、欲望が正当なところであるといえるでしょう。
だから誰に対しても、戒めることはできないと思うのです。
ただ、安らぎを求める人のみがブッダの教えを聞けばよいと思います。

187 :名無しさん@3周年:03/03/06 18:14
宗教戦争や宗教でのテロなどは、スッタ二パータを読めば、あってはならないこと
です。
「世間の期待感と人々への期待感を一切捨てること」
これが安らぎを求める求法者の姿勢です。欲望の世界を変えることはできないでしょう。
暴力で命まで落として神のために尽くすならば、ひとり遠ざかって暮らす生活をして、ブッダ
のように二度と生まれないように妄執を滅ぼしつくす修行をすればいいのです。



188 :名無しさん@3周年:03/03/06 21:58
>187
たとえば、体が不自由な人が今度は健常者として生まれ変わりたい
と思う気持ちはいけないことでしょうか?

189 :名無しさん@3周年:03/03/06 22:57
「信仰あり在家の生活を営む人に、誠実、真理、堅固、施与というこれらの四種の徳
があれば、かれは来世に至って憂えることがない。」
施与といっても、「慈しみと哀れみと思いやりと愛する心」を伴ったことですから、誰か
の幸せを自分のことのように喜んであげるとか、そのようなことも施与というのでは?
「ことばと心を正しくするようこころがけ、身に悪事をなさないで、もし飲食豊かな富んだ
家に住んでいるならば、(1)信あり(2)柔和(3)よく分かち与え(4)温かい心でいる
ならば、これらの四つの事柄に安住している人は、来世を恐れる必要はない。」(神々との対話
―恐れおののいている者より)
何も問題なく暮らしている人の方が現世で罪を重ね、「喜び生じれば悩みが生ずる」輪廻の中で
来世はどうなるかわからないかも。

190 :こころのやすらぎを求めて:03/03/06 22:57
>188さん
無常・無我・一切皆苦・涅槃寂静ですぞ〜!!!

191 :名無しさん@3周年:03/03/08 21:42
傍らに立った「長い杖」という(神の子)は、尊師のもとで次の詩をとなえた。
「修行僧は、瞑想を修め、心が解脱し、心の達成を望め、世の興亡盛衰をさとって、
良き心あり、こだわることなく、そのとき、すぐれた益をもたらすものとなって。」


不景気などの話題が多い今の世の中、豊かさに安楽を求めていた我々は、残業がない、
収入が減ったなどで心が落ち込むことがある中で、仏教で別のもの、安らぎなど
を求める人々は、暗い話題がそれほど気にならないのかもしれません。
また、そのとき益をもたらすのが仏教であると言っているのでしょう。

192 :NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/08 22:11
『五母子経』という経典はシルカセン訳の(とされる。漢字出すのがめんどい)
シンプルな散文で成り立つ小部の経典ですが、母を捨てて師について山にこもった
子供の出家修行者が、過去5回(あれ?4回かもしんない)の前生においても
同じく幼くして母を捨てて山にこもって修行し、そのために5人の母が深い愁嘆
にくれたことが述べられます。

ここまでは、小乗的なのですが、経典の主人公である子供の出家修行者が、
まだ阿羅漢果を得ていないと思われる状態のまま、(だったと思う)自分の5人の
母を救うため飛行して山を去る場面で経典が終わります。
いわば、「小乗」から大乗への過渡期の経典と理解できるようです。
「大乗仏教」の原初の問題意識が知れるようで、なかなかに興味深いですね。
まあ、小乗と大乗をどういう歴史過程として捉えるのか。という問題はありますが。

193 :一職業:03/03/08 23:11

大乗にあぐらをかく、ソーシキ仏教って        嘆かわしいですね・・・・

194 :NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/08 23:39
ふうむ。ちょっとでも批判めいたことをカキコされると気に食わないんだ。
そんなことじゃあ、「ソーシキ仏教」と同じ運命をたどるよ。

はああああ。嘆かわしいねえ(w

195 :NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/08 23:44
ありゃりゃ。>>193さんはぼくに対する皮肉じゃないのかな?

そうだったら変なレスしちゃってスマソです。

196 :阿含原理主義者:03/03/09 00:07
仏陀のことばは、国訳一切経2の止息法(仏陀の説く最高の呼吸法)
これを体得しないと、仏教では無いとおもいます。

197 :名無しさん@3周年:03/03/09 00:30
>196
そういう貴方は体得してないからに・・・
舞い上がって本から引用し解説してるだけでしょ

198 :名無しさん@3周年:03/03/09 18:57
論より行という気が・・・・・
行を正しくするため、納得するため論があるのでしょう

199 :懺悔門:03/03/10 18:17
はじめまして。なかなかレベルの高いスレですね。さて、

>>196さん
あなたが、そのように思う根拠は何ですか?

200 :名無しさん@3周年:03/03/10 23:39
ZETAに哲学・思想板が出来ました
http://zeta.ns.tc/kiba/philosophy/index.html


Zeta BBS
http://zeta.ns.tc/

201 :名無しさん@3周年:03/03/11 20:01
「悪魔は善行の功徳を求める人々にこそ語るがよい」「慈しみと平静と哀れみと解脱と喜びとを時に
応じて修め、世間すべてに背くことなく〜」「善いことをやったと思い喜ぶ」
見返りのない慈しみ、哀れみの心で、必要な時に善いことをやったと思い喜ぶ心で人は清められるの
でしょう。

「善行の功徳を求めよ」というのは悪魔ナムチの言葉であり、見返りを求めて喜ぶことを知らない人々
に語られる言葉でしょう。
宗教的行為で徳を積めという宗教ならば偽りを語っていると思います。


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